アラン幸福論から名言をいくつか解説します

アラン幸福論
アラン幸福論

自らの幸福について考える時、それが何かわからないことがあります。幸せの定義も人それぞれ違っていてこれだという決定的なものが見当たりません。ここではアラン「幸福論(1925年)」より印象に残った名言をいくつか紹介したいと思います。

アラン(1868-1951)はフランスのノルマンディー出身の哲学者です。本名はエミール=オーギュスト・シャルティエです。アランはペンネームです。彼は哲学教師をしつつギリシャ哲学などをもとにした独自の思想を打ち立て意思することで救われると考えました。

アランの幸福論

ここではアランの「幸福論」エッセンシャル版からいくつか興味深い名言を引用いたしました。

すべての道は正しい道である

誰も選択などせず、ただみんな立ち止まらずに歩き続けている。しかも、すべての道が正しい道である。人生の極意は・・・しっかりやり遂げることにある。自分がそうしたいと思えばどんな運命もよい運命だからである。

アラン幸福論 宿命

アランのこの言葉は生き悩む人々までもを肯定しています。今困難に直面していても、やり遂げることはよいことだと言っています。

私たちはうまくいっていそうに見える他者と自分とを比べ、劣等感を抱いたり不満に思ったりします。人は他人が持っているものが本能的に欲しくなるのです。しかしそれらを望んで手に入れるためには個人の努力だけでは達成不可能です。一番はおろか、二番や十番の座でさえ手に入れることが困難なのです。

そのような月にある餅のようなものを求めてすべてを失うよりも今を堅実に生きるほうが幸せなのは明らかです。

いらないものは払いのける

自分の憂鬱など認めないことであるが、なんでも容易に信じないことの本質である。自分をまやかして予言のしるしをありがたく思うようになると、世界はたちまちわたしたちの目前まで生い茂り、その存在を誇示するようになる。

予言者の魂

私たちが生活しやすい環境は、木を伐採して雑草を取り除き、食糧などを作って人工的に整えられている場所です。心も放っておけば雑草だらけで木々が生い茂るように鬱蒼としてきます。憂鬱の木は取り除いて栄養の種を撒きましょう。要するに人の言う事、特に権威ある人の言葉を安易に信じないことが幸せになるコツだと言っています。

権威ある言葉は時に人を無力化して判断力を弱め権威に頼らせることを目的として作られています。例えば何々しないと悪いことが起きる、何々すればダメ人間になる、などという類の言葉です。この類の言葉は宗教家や詐欺師、権力者がよく使う常套手段です。彼らの言葉を信じてしまうと、人は彼らのような人間に服従してしまいます。

人生を切り開くには自分を縛る思い込みの言葉を刈り取って挑戦します。

欲しいものは、自らとりにいく

人はだれでも、自分の欲しいものを手に入れるのだ。若い人たちはこのことについて、誤った理解をしている。彼らは、天の恵みがあることを祈って待つことしか知らないのである。ところが、天の恵みは空から降ってはこない。

アラン幸福論 意欲がある人々

昔からの慣習で、現代人の私たちは親や祖父母がそうしてきたように毎日お願いごとを神様に祈ります。そして無欲でいることを押し付けられ、無意識のうちに祖父母の価値観に従って「(最低限の健康と人間関係など以外に)何もいらない」と思いがちです。

しかし現実は自ら意欲して行動した人だけが欲しい物を手に入れています。健康を維持する体力ですら、毎日運動しないと手に入りません。山の上から景色を眺めるためにできるこは自らの足で登ることなのです。

何もせずに生きられるのは資産がある人だけです。その人のご先祖ですら必死で努力してきたのです。私たちのほとんどは健康と引き換えにしてでも富を手に入れる必要があるのです。

自ら求める

この世の中は、自ら求めようとしない人には、なにも与えてくれない。

アラン幸福論 意欲ある人々

なにもせずに神に祈っているだけでは小麦すら与えられません。自ら求める人とは、どんなことがあっても粘り強く、途中で投げ出さずに求め続ける人のことです。

世界は食料を獲得した者だけが生き延びるようにできています。それは人間についても同じです。その食糧を手に入れるためには貨幣が必要です。頭をよく働かせ、身体を動かすことしか幸福に至る道がないのです。

まとめ

アランは「行動することで幸せを手に入れる」と述べています。そしてどんなことでも感謝して受け取ることをすすめています。「希望から理由が生まれ、予兆から成功が生まれる」ので「どんなことでも縁起のよいことや明るい兆しにしてしまおう」と楽観主義を提唱しています。

心から希望を持てば、あらゆることが幸せの源になる

アラン幸福論 不機嫌

そして、どんな小さなことでも努力することで結果はかわります。

毎日少しずつ庭の草取りをするだけで庭全体がきれいに保たれるように。

(物質的に豊になれても)幸せは自分ですべてつくりだしていかねばならない。自分自身の中になんの富も持っていない人は、待ち構えている退屈に、やがて付け入られてしまうのである。

アラン幸福論 期待

日々の生活の中で自ら進んで取り組みたくなるような課題を見つけ、希望を持つことであきらめかけていた壁が崩れ、雑草が伸び放題となっていたところに野菜や花がきちんと並んでいることに気が付くのアランは言いました。

彼は繰り返し自分で行動することを進めています。自分で行動したところに喜びがあるというのです。受け身型の楽しいは中途半端であり、自ら求めて自分のもとにしてしまうことが楽しいそうです。

また、人からもらう幸せはまぼろしのようなものであり、そのような幸せはそもそも存在しないと射ています。しかし、自分でつくる幸せはまぼろしではなく学ぶ過程の中で得られるものであり、一生学び続けるものです。

知識が増えるほどもっとたくさん学ぶことができ、その喜びは減るどころか上達するにしたがって大きくなるのです。

幸せになるための努力をする

不幸になることは難しくない。難しいのは幸せになることである。だからといって、それはあなたが努力しない理由にはならない。その逆である。ことわざにあるように、やりがいのあることは何でも難しいのだ。

アラン幸福論 大げさな熱弁

私たち日本人のほとんどは勉強することに苦痛を感じます。本来の私たちは怠け者で難しいことは考えたくないのです。しかしアランは幸せになることは難しいが努力する必要性を説いています。

幸せになることは難しくても、希望を持つこと自体は簡単だとアランは言っています。

不機嫌を気にせず苦悩を自分と切り離して考え、人生をとことん楽しみ、自分に優しくして微笑み、自信をもって、上機嫌できることや、考えをぐるぐるめぐらせるより無頓着でいること、頭を空っぽにすることなどを幸せになるコツとして教えています。

幸せになることが難しいと言ったアランは、別の章では「幸せを願う気持ちがあれば、すぐに幸せになれる」と言っています。

感情は決まって悪いものである

悲観主義は感情からくるもの、楽観主義は意思からくるもの。ただ気分のおもむくままに生きている人はみんな悲しい。いや。悲しいということばでは弱すぎる。なぜならそういう人は、やがて怒り、激怒するからである。

結局のところ、よい感情というものはない。感情は、正確に言うと、決まって悪いものである。だから幸せはすべて、意志と克己心とから生まれるのである。

アラン幸福論 誓わなければならない

どうやらアランが言う「幸福」とは普通の人が考える幸福とは違うようです。多くの日本人は感情を基準に物事を判断しています。だから幸福度が低いのかもしれません。

感情の種類

人が持つ基本的な感情は次の6種類です。

  • 幸福
  • 中間
  • 怒り
  • 悲しみ
  • 驚き
  • 恐怖

ポジティブな気持ちは6種類の中の1種類しかないのです。しかも幸福を予期しているときにドーパミンが出て、幸福を手に入れるとドーパミンが出なくなるというのです。つまり幸福感を持続させる秘密は期待すること、希望すること、というわけです。

要するに、人がスポーツなどのゲーム性の高いものにハマる理由がこれです。結果がわかるまでの過程で快楽物質がドバドバ出てくるので面白いのです。演劇鑑賞もまた結末がわかるまでは続きが気になりますよね。旅行なども含めてお祭り感のあるものはすべて終わってみると祭りの後の寂しさがあります。

私からのアドバイス

ネット閲覧がやめられないのも楽しいからです。本を読むのも楽しいから、あるいは何かを期待しているからです。自分でも気が付いていないと思いますが、楽しいからスタバに行ったり、パソコンをしたり、勉強をがんばったりするのです。

試しに頻繁にやっていることをしばらくやめてみてください!スタバ通いをやめたり、趣味をやめてみたり、読書をやめてみたり。別の楽しみが見つかることもあったり、また同じことをやりたくなると思います。

退屈に感じるのは慣れているから楽しみが薄れた気がするだけなんです。

例えばある一冊の英単語集をマスターしようとして何度も読むと、最終的に10分ほどあればできないところだけを1冊やり遂げられるようになります。その時の感覚に学習しはじめのような苦痛はなくスラスラと読めるようになっています。これが慣れです。楽しいことであっても何度も繰り返すうちに楽しい感覚が無くなってくるのです。

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