虚しさとは何か?虚しい気持ちについて考える

虚しさ

これまでずっと目標に向かって毎日がんばってきた。ところがふとある日、老いや死を想像するとそれらの努力が無意味に感じられ、やる気を感じなくなってしまう。心にぽっかり穴が開いたというわけではないけど、将来の不幸な自分を想像すると何も手に付かなくなるほどの絶望感や虚無感を感じる。どうせ他者から評価されることなく、存在を知られることなく死んでしまうのに、若くはないのに今から努力したって報われないのではないか。唯一の希望があるとすれば、あの世で親しかった家族と再会すること。そう思うとなんだか悲しくなってくる。

若い時でも努力する機会や成功する機会を何度も失い続け、気が付いてみると髪に白いものが。おばあちゃんの言う通り勉強に励めばよかったと後悔しても、アドバイスしてくれた人たちはもうあの世に逝ってしまった。

虚しさとは心にぽっかり穴が開いたような感情・気分のことをいいます。考えてみれば喪失体験と虚しさは関係のある現象のように思います。見捨てられ体験も虚しさに通じるような気がします。努力では埋まらない心の空白にどう対処すればよいのでしょうか。愛する人との別れや老け行く己の人生を思うと虚しさを感じずにいられません。やがて己にもやってくるその時のことを思うと何のために生きているのかとすら思うこともあります。

虚しさ

虚しさとは、やる気や希望を一時的になくした状態というか、心にぽっかり穴が開いたような、開いてなくても将来のことを思うと、なんだか力が湧いてこないような感覚。これまで何度も挫折や喪失体験を繰り返して打ちのめされ、それでも努力を続けてきたのに、日常のささいなことなど、どうでもよくなるほど気持ちがどんよりとするような。

しかし逆の状況を考えてみると、それはそれで不確実だ。理想に近い形で夢が叶うこともないだろうし、夢のような人生だとしても常に順調になるとも限らない。

人生そのものがサイコロを振ったように不確実で何も決まっていない。それよりは今の生活を守り通した方が余程幸せではないだろうか?

今を楽しそうに過ごしている人にもどんな災いが降りかかるかわからない。

そうこう考えているうちに虚しさなどさまざまな感情や考えは薄れていった。

将来を想像すると虚しい

大舞台で活躍する人を除き、だいたいの人の人生は決まってる。年をとれば自宅にこもり、節約生活をしつつ、テレビを楽しみ、インターネットなどをして、安物の趣味を楽しみ、体が動けば趣味の教室に通い、そして時が過ぎれば大病を患い入院して、デイサービスに通い、最後は病院か施設に運ばれてこの世を去る。実に単純でつまらないと思うがそれが日本人の老後だ。それでも何かしらの役にはたっているらしいが。どこの世界でも、こんなものだろう。平凡な人生とは難しいようで実に単純だ。何にも逆らわずに形式通りに振舞ってさえいれば時をやり過ごせる。だが、そこにいつどこで大きなストレスがかかるともわからない。

喪失と虚しさ

虚しさとは、何かを失った感覚にも似ている。それまで何かを信じて一生懸命やってきたことに水を差されて作業が中断したり、何かトラブルがあって夢を叶えることができなかった時など。あるいは将来の喪失が予想できる時。虚しさとは何かを失うことがわかっているために生じる心の反応ともいえる。

大好きな人や物がいつか失われてしまうと予想できたとき。つらいことが確実に起きるとリアルに想像してしまったとき。大好きなことをあきらめなければいけないと思った時。しかもそれらを手放すことに抵抗があるとき。

集中力と虚しさ

どんなに偉い人でも、歴史上の天才でも、何らかの事情により作業が中断し集中が途切れると虚しさが込み上げて来るようだ。それは凡人と天才関係なく、夢中になっていたことが中断されると集中力が切れて我に返ってしまうからだろう。日本人の文豪も、西洋人の哲学者も、大人気の芸能人も楽しい時間が過ぎると何もない時間が虚しく感ぜられる。物事に夢中になって集中している時と、なんでもない時間との感覚のギャップが虚しいと思うのかもしれない。

作品を作り終えた時、あるいは中断した時、演技が終わった時など、いわゆる祭りの後の虚しさに、人生の虚しさが加算された虚しさ。

難易度の高い仕事をしている人にとって平凡が虚しく感じられるのは仕事をしている時と、そうでない時の感覚のギャップが大きいから「つまらない」を通り越して虚しく思うのかもしれない。

有能な人にとって「虚しい」と感じられる状態が平凡な人の「ふつう」なのかも。デキる人から見れば、凡人の娯楽(テレビ、会食、旅行)は時間の浪費としか思えない。

虚しさの正体

虚しさの正体は、喪失体験や、嫌なことがあったりして神経が疲れているからです。嫌なことが過ぎ去ると虚しいとは感じなくなります。それはたいてい人間関係が原因です。好きでもない人と一緒に過ごさなければいけないことが原因だと思います。価値観が自由な人や聡明な人にとっては、価値観の狭い人や知識量が少ない人や認識能力が低い人と一緒にいることは虚しいです。価値観が狭い人にとっては価値観が広い人と一緒にいると仏様のような人に思えるので幸福で快適かもしれませんが、逆の立場にとってみれば「こんな人といるのは苦痛」です。話を合わせて貰ってる人は「楽しい」かもしれませんが合わせてあげている人にとっては「苦痛」です。だから同じような頭脳レベルの人と一緒にいることが一番幸福だと私は思います。

つまり、人生が虚しくない時は周囲の人から感情的に、金銭的にお世話になっている可能性が高く、自分がお世話している側にいる可能性が低い環境にいるのかもしれません。そういうわけで、虚しさは努力である程度補うことが可能です。あまり難しいことは考えずに、気楽にいきましょう。

羨ましい人生と比較する

人生が虚しいと感じるのは社会の中で役割を失っているからだと私は思います。つまり、下のほうにいるか、その外にいるかという状況です。組織の中で生きられているうちはまだ幸せだと思います。ですが、底辺、日給や時給で働いていると、その人の一生は時間給の人生で終わってしまいます。あるいは時間給ですらない場合も収入が不安定なので虚しさを感じやすくなりそうです。そうなるとお酒に頼ってしまいがちになったり。善を実行する余裕すらなく、虚しいと思ってしまうかもしれません。何か幸福なるものを見つけたくなりますけど、持っている人のように持つこともなかなか叶わず。いっそのこと貧しい国に移住してみようかと思ったり。

疎外と虚しさ

同じグループにいても連絡が来る人と来ない人がいます。いつの間にか同姓でカップル(恋人)のようなものができているのです。グループを観察していると、必ず同姓で2~3人のカップルが出来上がります。3人組であっても2人は特に仲が良く、3人目はちょっと疎外されたような気持ちになったりもします。そうやって輪の中にいても気の休まることもなく、気が付いたら独りぼっちになっています。それは動物的本能が働いて恵みをもたらさない貧しく不幸な人は疎外されているのだと私は思います。ですが、みんなが貧しい時は、仲が良いものです。やはり、日本における疎外は貧富の格差からきているように思います。

動物的な強さ

でも、長い目で見ればグループの中心人物は仲が良かったもう一人とも別れています。ですから周辺にいたとしても羨む必要はないのかもしれません。グループの中心人物は貧しくても精神的に強いと思います。やはりそれは動物的な強さが強いほど弱者を抱擁するほどの大きなグループを作り、小さいほど小さなグループを作るのだと私は思います。一人になりたくなかったら、お金だけでなく動物的な強さを身に付けるのも解決方法のひとつといえましょう。動物的な強者の相棒もまた精神的に強く、感情的に安定しているという特徴があります。でもグループの3人目以降は情緒不安定な印象がありました。

虚しさを消す方法

虚しい気持ちを消すには苦しみを告白して他者から愛情を受けるほか無いように思います。それができる関係があればまだがんばれそうですが、無い場合は神様や仏様といった聖なる存在や本をたくさん出版している著者を崇拝して頼るか、お金を払って話を聴いてもらうしかないでしょう。自分を慰めてくれる人というのはその人にとって特別な存在でもあります。その人の言う事なら安心して聴いていられる。心をゆるせる相手がいることが虚しさから脱出する鍵かもしれません。あるいは自分自身が観念して不屈の心構えを持つことです。

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