幸福感を得る方法-消える幸福感の正体

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幸せについて考えたこと。幸福感が長続きしない原因について。偉大な哲学者は幸福とは何々であるとそれぞれ定義しています。それは身の回りのささやかな良いことを見つけることであったり、自ら行動して得る快楽だったりします。何が幸せかについては年齢や環境によってさまざまです。

このページでは幸福について、哲学者や偉人から学んだことや自分で考えたことを書いています。

幸福感の正体

理性で幸せが何かわかっていても幸福感という感覚が伴わないことがあります。若い人にとっては大病を患っていないことが幸福であっても、それに気づいていない人がほとんどです。あるいはそこそこ恵まれた家庭に生まれただけでも幸せなのに、その有難みがわからない人がいいます。

つまり、人は恵まれた状態に慣れると幸福感を感じないようにできています。

幸福の泉

水道が無い住宅に住んでいる人は、近くの泉まで水を汲みに行くことが仕事です。泉は昔の人々にとって重要な場所であり、恵みの象徴でした。古代から水汲み係は奴隷や子ども、女性の仕事でした。水汲みの人たちにとって蛇口をひねれば水が出ることは楽なこと、つまり楽しいことです。

人は本能的に清らかな小川や泉に喜びを感じます。それは本能的に必要なものがそこにあって満たされたからです。

幸福とは、つまり、生存条件が満たされることなのです。

苦あるところに幸福あり

大病を患った時は、少しでも良くなると有難みを感じることがあります。完治すれば有頂天になり神様に感謝したくなることでしょう。この幸福感も生存条件が満たされたことから生じています。ただし、健康体で日常生活に不自由しなくなると健康の有難みも苦しみも忘れてしまいます。

学校に行くこともまた本質的に幸福なことです。低料金で教養や礼儀などの知識や人を得られる効率的なシステムが学校です。学校とは何となく行くものではなく、知識と人を獲得して共通認識を教え込まれる場所です。人とのコミュニケーションを学び感情を抑えることを学ぶ場所でもあります。

親が子どもにそのような説明をすることはないので、日本の子どもたちは学校の意義を知りません。それが日常となっていると不平不満ばかりが目につきストレスになります。でも苦労して念願の学校に行けたという人の場合、授業を受けられるだけでも嬉しくなるものです。

つまり、幸福感を感じる前には苦の状態があるといえます。

赤ちゃんが微笑むためには泣いてお母さんを呼びつける苦しい状態が必要なのです。赤ちゃんは愛情と保護を大人から引き出すために本能的に泣いているのです。それは遺伝子によってプログラムされているので「愛情と保護」は人類にとって生存で最も有利になる条件ということも決まっています。人は愛と保護が得られないと苦しくて泣きたくなるように生得的にプログラムされているのです。

金曜日のウキウキ感

週休二日の労働条件の場合、金曜日になると気持ちが軽やかになり土曜日が一週間の中で最も楽しいのは勉強や労働などの苦役があるからです。幸福のためにはすすんで働いたり学ぶ必要があるといえましょう。

幸福感を得る方法

勉強や労働といった苦役からの解放感は素晴らしく感じられます。ですが退職した人など苦が少ない立場の人はこうした解放感は得にくいです。稼ぎが少ないと裕福な人のように旅行に行けない人もいます。人が幸福感を得る方法はさまざですが、大抵の場合、労働の末に消費行動で解消されます。

ではすぐに幸福感を得るためにはどうすればよいのでしょうか?

消費型の幸福感

現代で最も手軽に幸福感を得る方法は消費することです。飲食は胃袋が満たされることで幸福感が得られます。旅行など生活の場からの移動は、人類がもともと長距離を移動する動物的本能を満たすので幸福感が得られます。スポーツをすることは狩猟に似た達成感があるので狩猟本能が満たされ幸福感を得られます。果樹園での収穫体験は採集体験という本能が満たされるので幸福感が得られます。買い物もまた物を獲得するという本能が満たされるので幸福感が得られるのです。

  • 旅行や観覧に行くこと
  • 飲食すること
  • スポーツなどの体験型の遊びをすること
  • 買い物をすること
  • 映画やテレビ、漫画などを見ること
  • 疑似恋愛すること

行動力のある人は週ごとにどこかへ日帰り旅行に行っています。それを何十年も繰り返している人がいます。その人にとって自宅以外のどこかへ行くこと自体が楽しいのでしょう。

これらの消費することで得られる幸福感は、すべて本能欲求を満たすサービスであることがわかります。

費用のかかない幸福感

しかし消費ばかりしていると生存に必要なお金が無くなってしまいます。おそらく、誰もが知りたいのは「どうすれば幸福感を無料で得られるか」でしょう。先にも述べた通り、大病を患っていないことも確かに幸福だと思うに値すると思います。しかし、そうでない場合、何を基準に幸せと思うのでしょうか?それは人によりけりです。

行動して得られる幸福感なら、自分で部屋を掃除することや、家事をすること。普段やらない面倒な家事をすることなどが挙げられます。

行動せずに得られる幸福感なら、夏に涼しくなれるエアコンがあるだけで幸せだ・・・などと思うことです。

  • 無料で得られる何かを集める
  • 無料で動ける範囲を散策する
  • 無料で自然に触れられる場所に行く

例えば、海辺できれいな石や貝殻を拾うことでも本能欲求が満たされます。もっといえばゴミを拾うことでも収集したいという本能欲求が満たされます。そして無料の公園を散歩したり、農地のある道を散歩したりして楽園を求めて放浪したいという人間の移動本能を満たせます。

  • あるものに感謝する
  • 人から優しくしてもらったことに感謝する
  • 人に優しくしてみる

動き回れないときに、どこにいてもできることといえば、いいことを思い浮かべることです。楽しいことを想像したり、小さな小さな幸せをたくさん見つけることで幸福を認識するのです。

一番いいのは生きているだけで幸せだと言えることです。でもそれは難易度が高いか、遺伝子レベルで幸福な人にしかできないことです。

幸福と引き換えに寿命を得た人類

現代人は超寿命化しましたが、その分だけ不幸でいる時間も長くなりました。平均寿命が30年だった江戸時代の庶民(※武士の平均寿命は50年以上)はどんなにみじめでも苦しむ時間が少なくて済みました。奴隷でも20年くらい我慢したら寿命が来て老後の心配をする必要がなかったのです。昔は乱雑に生きてもせいぜい30~40年だったので、不幸な人生になったとしてもその苦痛は長続きしなかったのです。

現代では不幸なまま長生きすることは拷問以上に苦しいことです。苦しいまま生きながらえるより拷問されて死ぬことはそれほどつらいことではありません(私の価値観です)。

現代の庶民は長生きし過ぎて昔の人より不幸であると私は思います。配偶者や子どもが病没する確率が低くなり日本では結婚後に恋愛して再婚する権利がありません。実のところ、恋愛の末の結婚は一生物ではありません。それなのに、妥協と忍耐を続けて好きな気持ちが消えても他人同士が同居している不思議な国が日本です。

生物の話

本当なら人間の女性は若い時に多様な遺伝子の子をたくさん残すために複数人の健康な雄の精子が必要です。しかしそれを禁止したのは男性です。

男性は複数人の女性と交配しているのに、女性にだけそれを禁止するのは宇宙の摂理に反するので男が余るという現象が生じます。

動物の本来的な姿は、雌が健康ですぐれた雄の求愛だけを受け入れることです。すぐれた雄ならたくさん子孫を残せます。結婚という形態や一夫一妻、ゴリラのように一夫多妻などといった家族形態は不自然極まりないのです。私たちはチンパンジーと祖先が共通なので、多様な交配型の生き物です。

不健康な雄は遺伝子で劣っているところを隠して雌を騙そうとします。それは知性を伸ばすことです。すぐれていない女性は化粧と話術で雄を騙そうとします。知性は動物としての生存戦略なので、人類の知性の発達は同時に劣等遺伝子をも受け継ぐことに繋がったと私は思います。天才に心身の障害を抱えている人が多いのは、劣等遺伝子を持った先祖が知性で子孫を残そうと奮闘した結果かもしれません。知性の進化の裏にはこうした不可避な弊害もあると思います。

幸せに慣れると消える幸福感

人は学習能力が高く、いつかは環境に慣れてしまいます。結婚したばかりの幸福感や恋愛感情が消えるのは慣れが原因です。新しいスキルを身に付けた喜びが消えるのも慣れが原因なのです。例えば子どもが次第におもちゃに興味をなくしてしまうのは学習によるものです。大人も子どもと同じで目標を達成してしまうと達成感という楽しさが消えてしまいます。

  • 友達関係への慣れ→消える友情
  • 恋人関係への慣れ→消える恋心
  • 結婚関係への慣れ→消える愛情
  • 仕事への慣れ→消える労働意欲
  • 学校への慣れ→消える勉学意欲
  • 娯楽への慣れ→見飽きる、感動が薄れる
  • 旅行への慣れ→おのぼりさんにならなくなる
  • 趣味への慣れ→楽しさが薄れる

反対に人は悪いことにも慣れてしまう能力もあります。それが悪習慣の常態化です。そこから脱出しようとしなくなるデメリットがありますが、その人にとっては慣れることでダメージを受けないようにしているのです。

楽しさや幸福感、喜びは一時的な感情です。

有難みを感じる条件

では逆に、あることへの有難みを感じる状況を考えてみましょう。ない時のつらさを思えばあるときは本当に有難いと思えるものをリストアップしました。これらは現代人にとっては無いと困るものばかりです。もしも何かひとつでも欠けているときに、あることを思うと幸せだな、有難いなと思うことでしょう。

  • 戦争と平和
  • 飢えと飽食
  • 病気と健康
  • 人間関係の多少や質
  • 住む所の有無
  • テクノロジーの有無
  • 移動手段の有無
  • 人権の有無
  • お金の有無

あるときは有難みを感じないのに、無いときは有難みを感じるものばかりです。

認識による幸福

感覚としての幸福感を得るにはそれとは正反対の「ない状態」を経験しないと感じられません。休日の幸福感は勉強や仕事という苦役があってこそ感じられるものです。健康の幸福感は病からの回復を感覚として感じたときにわかるものです。安全な水が飲める幸福感は、上水道がない環境にいたときと比べて初めて感じられるものです。人から与えられる愛情も愛が無い状態を経験して与えられることで有難く思うものなのです。

いずれの幸福感も一時的なものです。幸福な環境が続けばいつしかそれが当たり前となり幸福感が消えてしまいます。しかしそのフラットな状態は決して不幸ではありません。

私にはいくつもの幸福があると認識するだけで十分です。

ただし、中程度のフラットな感情が続くとだんだんその状況に飽きて来ます。つまり何か楽しいことや嬉しいことが欲しくなってしまうのです。そうなるともう赤ちゃんでも不機嫌になってしまいます。しかし手に入る楽しいことは有料かつ時間的にも有限です。

ほどほどが一番

人が幸せになりたい、楽しくなりたい、嬉しくなりたいという欲望にはきりがありません。しかもテレビやネットで見せつけられる他者の楽しい瞬間は自分にも手に入らないものばかりです。欲しいと思っているうちに歳をとっていき、ほとんどの人は贅沢をあきらめるしかなくなるのです。

生きているだけで幸福

高齢の人から話を聴くと、生きていきたい場所に行けるだけで幸せだとおっしゃいます。これが幸福の真実だと私は思います。病気にはなっても行きたい場所に行けないほど重病ではないことが高齢者の幸せです。結局のところ、人間にとってはささやかなことが幸せなのです。

先ほども述べた通りに、酸素が据えて、手足がそこそこよく動いて、頭もそこそこ働いていること。そのことを喜べることが幸せの秘密です。そこには身体的な苦しみと比較したうえでの幸福があります。つまりボケるよりかはボケていない今が幸せだ。寝た切りにならずに動けることが幸せだ。などといった比較です。

それ以上の物事を得ようとすると感情が揺らいでしまうことは覚悟するしかありません。何かを獲得しようとすると不快感を経験することもあるのです。その最たるものがお金、つまり社会的成功としての報酬です。お金のない人がお金を稼ぐことは99%の人が楽しくないはずです。ほとんどの人は1%の人になれませんから、精神的な苦痛を覚悟して稼ぐ必要があるでしょう。

苦痛と引き換えに夢を追うことと、あきらめること、どの道を選択するかは人それぞれです。

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