幸せは存在するかしないか自己啓発書を読みつくした私がたどりついた答え

自己啓発書を読みまくった結果!

この記事は心が清らかな人に向けて書いています。自己啓発というと平成時代は怪しい洗脳というイメージでしたし事実お金儲けの道具でした。昨今ではデジタル書籍の普及と共に、心理学の研究を盛り込んだ「なんちゃって科学的だ」と言ってる本や、「偉人語録」や訳の分からない本までごちゃごちゃ増えて、その本がインターネットのブログにコピペされることで誰もが無料で自己啓発ができるようになりましたが書いている人はお金儲けのつもりです。インターネットに繋げられる環境であればもう自分を慰めるための本すら買う必要が無いようです。ですが、それで心癒され前向きになれる人はどれくらいいたのでしょうか?

幸せは存在するしない?

現実の自分は相変わらず奴隷扱いですか?会社の奴隷、家庭の奴隷、など、多くの人は一生奴隷です。メディアのイメージや書籍や宗教に騙されたまま奴隷で一生を終えられる人は本当に幸福だと思います。それ以外の人にとって、市販の書籍ではもう疲れ切った心を癒すことに限界が見えてきたのではないでしょうか。人間らしく生きろと言われても、趣味に逃げたって心の空虚さまでは埋められません。寝て逃げても問題が解決するわけじゃありません。悩み続けたとしても、それで何かが生み出されるわけでもなし。希望の職業に就くなど夢が叶う人はほんの一部です。捨てれば諦めればという本がある一方で、諦めるな、などと反対の事を言う本もあります。

幸福は千差万別

世の中いろんな人がいるので万人向けに共通したお悩み解決方法が無いと言うのが私の答えです。平和が好きな人や、その逆が好きな人、甘い物が好きな人、さまざまです。つまり、こうしたら幸せという絶対的なことは存在しないのです。

私も道を探してみましたが、聖杯など存在しませんでした。親が優しくて大金持ちなら聖杯があるといえるかもしれません。おそらくこれ以上道を探し続けもそのまま高齢者になるかして人生おしまい。幸福になる方法を求道して成功できるのは宗教指導者かYoutuberくらいでしょう。その他大勢は「ワシが見つけた」と言った人のおこぼれを貰う訳ですから、それが合う人と合わない人がいます。「お釈迦様」や「老師様」と性別や境遇が同じなら同調できるかもしれません、でも女性がおじいちゃん流の幸福になる方法を学んでも合わない人が多いでしょう。

幸せになれる方法

また、幸せになれる方法を説いている人の職業や性別、価値観を見てみましょう。いかつい顔のオジサンが言う幸せと、デヴィ夫人が言う幸せは180度違うには明らかです。デヴィ夫人にとっての幸せはお金と名誉と権力と子どもです。いかつい顔のオジサンにとっての幸せは騙されてくれる人の数と金額お布施の金額です。瀬戸内寂聴さんにとっての幸せは女性に好かれることで孤独から逃れることでした。眞子さまにとっての幸せは、好きな人と自然な形で結ばれセレブ生活を送ることで、他の人から婿を押し付けられることではありませんでした。

幸福の条件

持ってる物(両親・職業・配偶者・子ども・お金)が無い状況で幸せに楽しく暮らしたいと思えば思う程、苦悩は増していきます。白髪が増えて来ると、毎日一回笑って過ごすことも、他人と一日一回会話することすら贅沢なことだと思える程です。人が本当に望んでいるものはとてもシンプル(両親・職業・配偶者・子ども・お金)なのに、それが手に入らないから苦しむのです。なんて単純なお悩みだと思いませんか?つまるところ、生きるために最低限必要なお金や人間関係が手に入らないから人生つらいんです!人間として補償されているはずの人権が危ういから人生つらいんです。苦しむ人のために助言している人は持っている物を既に持っているではありませんか!!!違いますか?そんな人が孤独や寂しさがどうのこうのといっても説得力ありませんよ。

人間らしく生きるとは

なぜ宗教が多くの人に受け入れられたのかというと、早い話、人権が無かったからだと思います。世界中のどこでもちょっとしたことで村八分にされてのたれ死ぬようなおクニだったから。衛生観念も貞操観念も低くて口汚く罵られる。そうした人が大衆向けの宗教に救いを求めたりするのは生きることが苦しいからです。支配者である武士に残り95%の人が訴え出ると訴訟を受け入れる代わりに処刑されなければいけなかったのが江戸時代です。悪代官に搾取されて何人もの人が実際に訴え出ただけで処刑されました。こうした世の中では平均寿命が短く、生きること自体が難しかったのです。常に身体のどこかがウイルスや細菌や寄生虫に冒されて炎症していたことでしょう。現代の価値観から見たら江戸時代は早く死ねたほうが幸せだったと思えるのは間違い無し。

一方で現代は長寿が苦しみを引き起こしています。昔であれば就職できなくて人間としての権利や名誉が手に入らず人生が成功しなくても余命あと10年くらいで死ぬので屈辱に耐え続けなくて済みます。今は成功できない苦しみと孤独を何十年も抱えて生きなければいけません。寺院や教会が人を支配していた時代と異なり、政府が人を支配している時代では人は昔の人の何倍も長い期間苦しみを強いられるのです。人権が無い状態で何十年も生き続けるのは想像を絶する苦しみです。

幸せは人権を持ってる人には既に訪れています。ですが持っていない人にはありません。持ってない人や失った人の立場から見れば、持ってる人が苦しむことは愚かにしか見えません。本当に必要なものを持っていない人にとっては良い思い出だけが幸せなのです。不幸な役を演じようとして育ちの良い俳優さんが鬱になられてお亡くなりになることも珍しくないと思うこの頃です。でも、苦難に耐え続けている当事者にとっては不幸な登場人物を演じたことくらいでこの世を去ってもらっては困りますよね。

不幸な気持ちになるのは動物の本能!

他人が良い物を持っていると羨ましく思い、攻撃心を抱くか、その逆で落ち込むのは人間の本能です。いえ、人間だけでなく他の動物でもそうした感情が見られます。力ずくで奪おうとするのが動物の本能です。もうこれは自分が悪いのではなくそういう風にできていると思ってあきらめるしかありません。

世の中を見回して見ましょうよ。合法的に他人の物を盗んでいる人の多い事か。集団で合法的に他人の制作物やアイデアを盗んで富を奪っているのが世の中の大半の企業の姿です。

要するに、ほとんどの人間は盗人同然の生き方をしているわけです。自分は違うと思われるかもしれませんが、胸に手を当てて思い出してください。例えば国王や貴族は国民や侵略した国からお金や財産を無理やり奪って生活していました。それが国家という形になると、王様の臣下は公務員や旧貴族です。先祖が本物の盗賊だった国王もいますよ。貴族も昔は血なまぐさいことをしていたのです。

宗教だって本来の教えなら豪華な建築物や財宝など全く必要ありません。創始者はそんなことを望んでいなかったからです。なのにあんなに豪華な建物や金銀財宝を持っているのは信徒から搾取したからです。聖者顔をした人たちの本当の顔は盗賊なのですよ(中には純粋な聖者もいますが、看板として利用されているだけです)。それを私たちは「すごいお城だ!きれいだね!」なんて言って有難がっているのです。

生きるために欠かせない物を得たからといってその人が偉い訳でも正しいわけでもありません。持ってなかったとしても悪くはありません。悔しくて腹が立って落ち込んで当然です。持っていない人にとって世の中は素晴らしいものではなく、自分を窮地に追いやった酷い世の中だと思っても当然なのです。ですが、実際の世の中というものは良くも悪くもなく、ただそこにあるだけです。誰にもほんとうの世の中がどうなっているかなんてまるで見えません。なぜなら自分に都合よく解釈して見ているからです。だから世の中が良いと思うのも、悪いと思うのも人それぞれの思い込み、個人の感想です。

幸福は感覚と認識の二種類ある

これは私の考えですが、幸福には感覚としての幸福と、認識としての幸福があると思います。感覚としての幸福は、とてもリラックスして気持ちが明るくなった状態、あるいは気持ちが高揚して浮かれた感覚など体の感覚として知覚できるものです。それらは何も無いところからは生じません。こうしたら幸せだという欲望があって、その目標が達成されると幸福感が得られるのです。

幸福感とは、何かを達成した喜びや満足感です。例えば好きな人と付き合う約束や結婚の約束を取り付けた、赤ん坊や孫が生まれた、給料が上がった、欲しい物が手に入った、人にいいねされた、ご褒美を貰った、美しい自然の景色を見たなど、さまざまな人間の欲求が満たされた時に感じる解放感や達成感、満足感です。

認識としての幸福は、私は今幸せであるという自己認識です。あるいは私はこれからも幸せであるという確信めいた自己認識です。自分自身が幸福だと思うことです。たとえ、その時の気分が悪くても幸福だと思うことです。

ただ単に心が軽い瞬間を幸福と言う事もあります。その瞬間が永続することを望んだりもします。

幸せそうな人は既に幸福を持っている

いつも心が軽やかな人は、幸せ者です。その人は既に人生において必要な物を持っています。条件が揃っていて幸せな人は持っていない人に対してこう言います。気にするな、考えるな、いつか幸せになれるなどと。持っている人が持っていない人に言っても何の説得力もありません。幸福の条件を持っている人が、持っていないものは持っていない、この先も持てないかもしれない人たちに幸せを説くには無理があります。既に持っている人に対して言ってるだけなのかもしれませんね。

持たざる者は幸福か?

では、仕事や住まい、親兄弟、恋人や妻、子どもがいない人は幸せなのでしょうか?持ってる人と比べると幸福感を感じる人は少ないと思います。健康を損ねている人は幸福なのでしょうか?痛みで毎日が苦しいはず。結婚して子がいても明日にも路頭に迷いそうな人は幸せでしょうか?きょうだいがいても対立している場合はどうでしょうか?

幸福な将来とは?

ほとんどの人は一度は愛する恋人を持つことや結婚して子ができ人生順風満帆、あるいは孫ができて楽しく過ごす未来を思い描くことでしょう。でも人によっては典型的な幸福な人のようにはいきません。愛の無い結婚生活となったり、そもそも恋人すらできなかったり、孫の顔も見られそうになかったり。そして子供の頃にもっと勉強などをがんばっておけばよかった、就職をあきらめずに勉強すればよかったと後悔するのです。でも、その努力を阻む嫌な感情があり、それが原因で努力を継続できなかったはずです。

与えられる幸福には終わりがある

他の人から与えられた幸福、例えばテレビを見ることや、ゲームをすること、漫画を読むこと、動画を見ること、娯楽施設に行って歓待を受けることは一時的な快楽だ。誰かと一緒に遊んでも必ず終わりの時が来ます。あるいは他人からの助言も、その人がいなくなれば恩恵による幸福は消えてしまいます。習い事をしていたら、いつかは先生と別れれなければならず、そこで幸福は終わります。頼っていた人がいなくなると、とたんに生活が虚しくなります。健康やお金が尽きればそれまで得られていた諸々の幸福は終焉します。これらは皆、条件に依存した幸福といえます。いずれも費用がかかり、無料で幸福を得ることはできません。

祈る

ある本には祈りが重要だと書いています。アメリカ人が書いた本ですからキリスト教のことでしょう。確かにどん底では祈るしかできることがなくなります。祈ることで気持ちが幾分晴れるということです。また、気持ちを言語化するので何を望んでいるのかはっきりします。大抵はお金や健康、家族のことでしょう。日本でも最後の神頼みという言葉がありますね。最終的には誰もが祈るしかない状態になるのでこの方法は正しいと思います。

忘れる

道元禅師のように今一瞬だけを生きるようにすれば幸福なのでしょうか?確かにその瞬間は嫌なことを忘れていられるかもしれません。でも問題が去ったわけではなく、思い出すたびにストレスを感じます。スポーツやテレビ、ゲーム、ネットなどに夢中になっている時は、一時的に問題を忘れています。それってストレス対処法の一つであり幸せとは別次元のお話ですよね。有名なお坊さんにはたくさんのお弟子様がいるので老後の心配もないから、一時的に忘れるだけで確かに安心ですね。忘れることで、一時的に気を楽にする方法も間違ってはいないと思います。やり過ぎると問題が先送りになってしまうデメリットがあります。

感謝する

自分を助けてくれた人やものに対し感謝します。感謝感激する人もいれば、特に感動も無い人もいます。祖先が苦難の歴史を歩んできたことや、食事があることに感謝します。自分自身に対しても感謝します。

信じる

幸福を自分で条件設定して、それが幸福だと信じる方法です。家族が信じているから信じる、など人が信じているから自分も信じるという方法も該当します。食事にありつけ雨風をしのげる住まいがある幸福など、古来より人が信じてきたことを信じます。今より生きることが難しかった時代に生きていた人たちが信じていたのですから、拠り所となりやすいと思います。

幸福感を邪魔する感情

例えば、優秀なスポーツ選手でも気持ちが乱れると本番で結果を出せません。舞台慣れをしていない音楽家は本番でのパフォーマンスが悪くなり評価に繋がりません。気持ちが重たくなったり、ごちゃごちゃしていると人は自分自身の能力を十分に発揮することができないのです。

挫折感や劣等感

凡人には、大舞台の上に上がれないという苦しみがあります。ほとんどの人は途中であきらめて別の道を探すのですが、その別の道にもトップの人と、そうじゃない人がいてひしめきあっています。凡人が幼少よりその道に関連した訓練を積んでいる人に勝つことは難しいと思います。

スポーツ選手のほとんどが幼い時から身体を動かして競技に関連した運動をしているので、途中からはじめた人が成功できる競技は限られていると思います。頭を使った競技でも、子どもの頃からやっていないと勝ち目が薄いのです。凡人がトップになれないにしても三流くらいにはなれる余地がまだ残されているかもしれません。それに、お金がかかります。

劣等感や絶望感といった感情はパフォーマンスを大きく低下させ挫折の原因となり得ます。逆に闘志が芽生える原動力にもなり、その感情をどう解釈するかによってその後の気持ちが変わります。

昔の人は怯えて暮らしていた

少し想像するとわかると思いますが、昔の人たちは、とても怯えて暮らしていたか、それを払いのけようと攻撃的になり過ぎていた人が多かったと思います。疫病や餓死、差別や戦争などの暴力や天変地異をとてもおそれていたと思います。その人たちが現代の価値観と比べて幸せだったかというと、人生が短かった分だけ不幸な時間が少なく、死別や病気の経験数が多かったと思います。虫歯などの治療法もありませんから口の中はかなり匂ったことでしょう。常に死の恐怖が身近にあったことから不幸な気持ちの状態が標準だったと思います。その沈んだ感情が歌となり、暗い旋律の日本の歌がたくさん生まれ、共感を得て広まったのだと思います。

気持ちが沈んでいたからこそ、文明の発展がなかった

文明が進展しなかった時代は人々が厳しい支配下に置かれていたからだと思います。現代でも人権が無い国の文明は発展していないことがわかります。人々、特に女性が抑圧された状態にあり、人が自由に物事を考えること自体が制限されています。考えることや行動することが制限されているので文明の発展が無い訳です。そのような人権の無い国で笑うことができるのは支配者層だけです。

笑顔信仰はいつから?

現代では沈んだ気持ちが悪いみたいに思われていますが、それは企業が健康そうで明るい人を優先して採用するからです。オリンピック競技を見ても、日本人だけ試合で負けているのに異常なほど笑っています。視聴者の日本人は女性のスポーツ選手に対してのみ笑顔を強要します。スマイルジャパンや、スマイルなでしこなど。笑顔といえば、かつてはアメリカの専売特許でした。アメリカを代表する人たちは恵まれているので自然と笑顔が出るのです。それに対し、日本人は形式だけの模倣、つまり人工的な笑顔で対抗しようとしました。あいつが笑っているから理由はどうであれ笑えばうまくいくに違いないと。その模倣に言葉が伴いません。それがスポーツ界やサービス業界での笑顔の強要に繋がったのだと思います。「信じれば仏に救われる」や「柏手をしておけば神の恩恵に預かれる」など、言語を伴わない形式模倣が宗教(なのか?)にも見られます。

この笑顔信仰が生じる前は、直立不動無表情信仰と幸福など無いというような絶望感のある時代の雰囲気があり文豪が次々とその考えを支持しました。それらをほんとうだと信じられる人はそれで幸せなのでしょう。信じられない人は、頭がいい人なので、本気にしないほうが幸せです。

幸福な瞬間リスト

私が考えた、幸福だなと思う時のリストです。

  • 休日が訪れた時。
  • 学校や会社が休みになった時。
  • 明日の朝起きるのが楽しみな時。
  • 朝起きてすぐに何かをしたいと思う時。
  • すぐに眠れる時。
  • 趣味に没頭している時。
  • 勉強に没頭している時。
  • スポーツに没頭している時。
  • 人と話をして笑っている時。
  • 生まれてから最初の数年間。
  • 孤独死しないことが確実な余生を送っている時。
  • 配偶者と子どもがいて家がある人生。
  • 他人とのトラブルが無い時。
  • 人の役に立っている時。
  • 自然を見て感動した時。
  • 本を読んで慰められた時。
  • 食欲がある時。
  • お金の心配がいらなくなった時。
  • 投資で成功した時。
  • 起業で成功した時。
  • 旅行に行った時。
  • 他国と比較して治安が良いこと。
  • 選挙権があること。
  • 法律で守られていること。

人生が好調な人と比べて幸福ではなかったとしても、日々の日常の中に幸福な瞬間がたくさんあります。毎日の生活が楽しいわけではなくても、理性で考えると幸福と思えることがいくつもあるのです。例えば、民主的な国に生まれたことはある意味運が良かったと思います。日本と友好関係を結んでいる国に自由に一生に一度でも往来することができることは幸せです。インターネットに繋げることができれば海外の人にメッセージを送ることができますし、仕事や気の合う人を探すこともできます。また、トイレが海外のものよりきれいなことや、他国と比較するとマシな点はいくらでもあります。

日常での幸福といえば「休日」や「完全フリーな日」が挙げられます。義務で人や物と関わらなければいけないことから解放された瞬間、笑顔が戻ってきます。また、SNSで人から「いいね」をされた時も一時的に嬉しい気持ちになります。お気に入りのカフェがすいていると嬉しい気持ちになるでしょう。この一瞬楽したな、という気持ちが人生ではとても重要なのかもしれません。この嬉しい気持ちや楽しい気持ちは長続きしないので、ノートに書き留めておいたほうがよさそうです。喜び、歓喜のキーワードは「義務や苦痛から解放された瞬間、人に認められた瞬間」です。この解放感は本当に一瞬で数分もしたら消えてしまいます。快楽を感じる物質は一瞬しか出ないので代謝されて消えてしまうのでしょう。

本当に幸福な人は、幸せについて考えていないと思います。このようなことを考えずとも気持ちがすっきりしていて幸せだからです。人は本来、学校や会社になど行きたくない動物です。快適な住まいと、家族と生活物資があれば他に何もいりません。それが手に入らないから人は苦しむのです。

幸福は存在する

確かに、幸福な瞬間や環境は今の日本に存在します。戦争が無い状態は幸福です。治安がそこそこ良いことは幸福です。選挙権があることも幸福です。どこに国にでも行く権利があるのは幸福です。ですが、それらはアメリカが私たちのために与えてくれた成果です。何を幸福と思うかについては人それぞれですが、世の中の平均という空気が人を不幸にしていると私は思います。

幸福は存在しない

幸せは存在しないという人もいます。その方が生きやすいのかもしれません。底辺で生きるためには教養など不要なのでしょう。でも、私はそうは思いません。ある人には幸福が訪れているのを見ると、幸せはあるんだなと思います。

ただ確実にいえることは物質世界そのものに幸福という「物」は存在しないと思います。あったとしてもそれぞれの動物の「快楽」でしかありません。

平均という不幸

平均という概念を生み出したのはケトレーです。彼はど真ん中が理想の人間像だと絶賛しましたが、理想の人などいませんでした。彼のアイデアを発展させたゴルトンが上下の区別を付けました。ゴルトンは平均より下にいる人を劣っていると見なし、平均をとても上回っている人を優れていると決めつけました。そしてテイラーが組織で作業するだけの人(労働者)と指図するだけの人(マネージャー、プランナー)という区別を付けました。これが世の中のあらゆる不幸の原因となっています。

ゴルトンの考えでは平均以下は劣った人間であるというのです。

この価値観に洗脳された私たちは誰もが多数派に入ることを望むようになりました。それが何を意味するかと言うと、多くの人は少数派になることをとても恐れているのです。上位者や多数派が優越感や差別心を表すようになり、世の中で平均以下に分類された人を無視したり攻撃しています。

平均が公表されるたびにそれを見た人は自分と比べて一喜一憂します。そして平均主義者へとなってしまったのです。

つまり、標準化された組織の中で働いたり勉強したりすることは、誰一人として平均値ちょうどの人が存在しないのに、平均値になるよう強制されるので非人間的扱いを受けているからつらいのです。平均以上の営業成績を上げても給料がそれと比例して上がらないことや、平均以下は解雇リスクがあるというデメリットが生じます。

平均思考は他人と異なることが否定され、自由に意見を表明することも否定されます。唯一自由があるとすれば、それは平均よりも秀でた人だけです。

テイラー主義を最も喜んだのはアメリカだけでなく日本や中国、ソ連などでした。学校教育はそれぞれの個性や興味関心に合わせて行われるのではなく「平均を作る」ために制度が作られました。平均主義を採用した組織では人間性や個性、道徳心すらもが尊ばれなくて当然です。教育の使命はテイラー主義のもとで働く労働者を養成する機関だったからです。最悪なことにソーンダイクは学校の目的があらゆる生徒を同じレベルで教育するのではなく、生来の才能のレベルに応じて生徒を分類し、優れた者と平凡な者、そして落伍者や問題児を振り分けて、後者に資源を与えるべきではないと考えていた差別主義者でもありました。

私たちが常にまるで独裁者の支配を受けているかのように見えない何かに締め付けられている気がするとしたら、それは巷に浸透したテイラー主義による優秀と普通、劣等を区別する差別心そのものです。それを見えざる暴力といわずに何といいましょうか。

永続的な幸せは存在しない

幸せな瞬間(感情)は確かに存在すると思います。本心から笑っている時やくつろいでいる時がそうでしょう。義務から解放された後のほんの僅かな間だけ。子どもや孫が生まれた瞬間。それが幸せというものなのでしょう。そして幸せや不快なことについて考えていない時間もまた幸せだといえあす。

でもこうした感覚は一瞬のものなので数分もすれば消え失せます。この体験の後に心を新たにして仕事に臨むことができればそれもまた幸福なのでしょう。

大好きな人との時間も永遠には続きません。いずれは別れる時が来るのです。

幸せとはずっと続く感情ではないのです。

宗教は最後の時まで信じられる人だけが幸せです。ですが人生がとても長い人が多くなりました。思索をするには十分な時間です。若い時に親祖父母に教えられるままに信仰心を持つことができても、人生のどこかで疑問に思ったりするかもしれません。信じるだけで救われたならそれはそれで幸せなのでしょう。

恋愛においてもいつかは夢から覚める時がきます。その時にお互いに人間的に成長していれば絆を深めることができるでしょう。しかし世の中そんな人ばかりではありませんし、なぜ私はこの人を好きになったのだろうと我に返る人もいます。ずっと夢から覚めない人は幸せなのだと思います。

参考文献

  • 平均思考は捨てなさい-出る杭を伸ばす個の科学
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