孤独は嫌だ!逃れる方法は無いのか?

孤独

孤独とは、年を取って一人の人、身寄りがない人、ひとりぼっち。精神的な拠り所のない人。などと形容されます。周りに人がいても気軽に話しかけられる相手がいない場合、孤独な時があります。子どもの頃は友達や仲間の輪の外にいると感じた時や追いやられた時に孤独を感じます。つまり群れの外で孤立したような感覚。あるいは群れの中にいても心が切り離されたような感覚。将来の孤独を想像するだけでも孤独に感じます。しかも、いったん孤独に苛まれると精神的に追い詰められます。

孤独

「人間は孤独である」「寝床を共にしても同じ夢は見られない」など孤独の格言はたくさんあります。人が同じ地域や群れで生涯を終えていた時代は他人との距離が近くてみんなと同じ生き方を強いられていました。早くに結婚して何の疑問もなく成人し、狩猟や農業に勤しんでいた時代がつい100年ほど前まで続いていました。昔の人は現代ほど孤独ではなかったのかもしれませんが、疎外された人は人知れず苦しんでいたと思います。それでも平均寿命が短かったので苦しむ期間もせいぜい50年まででした。超寿命国では不遇のまま生きながらえられる期間が延びたので、その分だけ苦しむ年数が増えました。

子どもの孤独

子どもの頃は、心はすべて母親に預けて見の周りの世話をしてもらって保育園に預けられるまでは幸福度100%でした。まず母子が引き離されることで人は最初の孤独を経験します。保育園などで遊んで過ごしても、母のもとで過ごすことが一番の幸福です。

小学校に上がると今度は友達関係の中で孤独を経験します。友達の輪の中に入れるかどうかで幸不幸の落差を体験するのです。また、家に帰っても母が働きに出ていていないことでも孤独を体験します。この頃より人は孤立を恐れ、ひとりぼっちのどん底を味わった子どもは深く傷つきます。

高校生以降になると友達なしで過ごすことに精神的苦痛を感じます。自宅に帰れば親がいるにもかかわらず。まだ祖父母のどちらかがいるにもかかわらず。

成人期の孤独

成人以降に体験するのが親と離れる孤独です。就職のために親の住まいとは別の土地で働かなければいけない人たちのことです。ですが、地方では親の隣に家を建てたり、結婚して親の近所に戻って来る幸せな人がいるのも事実です。親の近くに住んでいる人は親との繋がりが切れる孤独が嫌で住んでいると思います。この落差は何なのでしょうか?親しい実家と同じ地域に住まう子がいるとはとても羨ましいではありませんか。

そして経済格差による孤独。何らかの事情で就職できなかった時に陥る孤独。

男性も女性も長男や長女であれば大好きな親の近くで住みたいと思うのが本能というものでしょう。

結婚の孤独

結婚したからといって孤独から解放されるわけではありません。思い通りの生活ならよいですが、思っていたよりも寂しいと思う女性は少なくないようです。女性は親元を離れて友達も知り合いもいない土地に引っ越して、新婚時の人間関係が「1」しかないこともあるでしょう。夫の親の前では仮面を付けて嫁を演じ、夫の前では妻の仮面を演じ、子が生まれたとしても親の気持ちはわかりませんからますます寂しくなる人もいるようです。

男性も結婚を機に女性の実家付近に住みたいとは思わないでしょう。でもそれって本当に好きで結婚したのでしょうか?愛があるなら妻の実家の親御さんのことも好きになれるはずです。また、都会生まれの配偶者が結婚を機に田舎の古民家に憧れて住みたいとも思わないでしょう。誰もが現状維持が安心と思っているからです。お互いに気持ちが通じていると思っていたら、まったく相手の孤独や絶望がわかっていなかった。なんで相手が孤独でつらい思いをしているのかわからないという人も多いでしょう。

仕事や趣味で新しい人間関係を築いても、お金の切れ目が縁の切れ目となる場合が多いようです。

結婚をしたからといって孤独から抜け出せるわけではないようです。

壮年期の孤独

この年になると親との死別で孤独になる人が増え始めます。一人っ子の独身であれば結婚していたとしても、本質的に天涯孤独の身になります。子ができなかったり、配偶者が亡くなったり、夢に描いたような楽しい老後のある人は幸せです。仲の良いきょうだいがいるならまだマシです。近所に仲の良い子どもが住んでいるならそれは最高に幸福でしょう。大切に育てた子どもが独立すると、お母さんはずっと我が子を心の支えとして愛の無い結婚生活に孤独に耐えてきたので熟年離婚に至る場合も少なくありません。

老年期の孤独

高齢になると、はじめは旅行に行ったり地域の集まりに出る機会が数年ほどありました。しかし体が弱り、頭も弱ってくると家にいることがほとんど。病院に入院する機会もあるでしょうから、世話をしてくれる人が必要です。子や孫がいる人は幸せなので、それ以上は望まないことが幸せなのでしょう。身体が思うように動かず、助けが欲しいのに子どもと同居していないのでうまくいかない。既婚者の場合は片方が亡くなると話し相手がいなくなり認知症が進みます。

町内に、顔見知りでもないのによく長話をされるおばあさんがいます。話を聴いていると家庭でかなりの間、ずっと耐え忍んできたようです。その気持ち、おじいさんは知っていたのでしょうか?知らないと思います。そのおばあさんは、おじいさんから愛されていなかったのです。

仮に、独身だったとしても近所にきょうだいが暮らしていて仲が良かったららひとまず安心です。

また、老年期の女性は夫に先立たれる場合がほとんどです。その逆で妻に先立たれることもあります。その後の10年~20年くらいを1人で、あるいは子や孫と暮らさなければならないのです。町内に話し相手がいればまだいいですが、孤独な心の内までは明かせないと思います。お年寄りが子や孫に心が孤独で寂しい助けてくださいなどと打ち明けるのは立場が邪魔してあり得ないはずです。だから、老年期になると孤独に耐えるほかなく、とっくの昔に夫婦の愛情が冷めている場合もあるので誰もが孤独であるといえましょう。

つまり、孤独であること自体を気にしてもほとんどの人はどうにもならないわけです。

独身男女の孤独

人間の男性には多くの女性と結ばれて子孫を残そうとする本能があります。女性であれば妻子を愛し続けて確実に子孫を育めそうな男性を選ぶ傾向があります。本来は一夫一妻性でも一夫多妻制でもないのが人間の本能です。それが一夫一妻制度の出現によって矛盾が生じました。雄の中にこの制度を合法的に利用して何度も結婚するずる賢い者がいるのです。必然的に未婚の男性が多めに余ってしまいます。女性も歳をとりすぎると余ってしまいます。一定量の独身男性と、独身女性が余ってしまうのです。

余った人たちは余生を一人で過ごす孤独に耐えなければいけません。余っている男性は女性と付き合った経験が無いのでお見合いをしても相手の心情を察する能力が不足しています。まして男性が一回り下の年齢の女性をすると、生まれた年代も違うので話も合わないでしょう。余った男性は確実に妻子を養って自由にしてあげるという金銭的保証が無いとなかなか振り向いてもらえないでしょう。若い女性の立場からすると、年上すぎる男性は定年が早く、早くに家に居座られると話題も合わずに苦痛かもしれませんね。

誰も助けてくれない孤独

たとえ夫や妻、親といえども孤独感から心を救ってくれるわけではないようです。こうした感情を打ち明けること自体を拒む家族もいます。しかし打ち明けられたほうもまた孤独をとても恐れていたりします。孤独を理解できるのは、孤独に耐えてきた人だけです。中途半端な孤独の経験では、ずっと耐えてきたおばあちゃんの気持ちのような本格的な孤独を理解することができません。

本当は誰かの一言でパッと明るい気持ちになって救われたい。神秘的な力でも何でもいいから救われたい。だからこそ人は何かの宗教を信じようとするのでしょう。結局のところ、何かに依存してそれを絶対のものであると信じることが救われる道なのでしょう。

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