自己啓発や人生訓は役に立つのか

自己啓発や人生訓は役に立つのか?
自己啓発や人生訓は役に立つのか?

大きな悩みがある時に人生訓や自己啓発は役に立つのでしょうか?受験や就職・結婚といった人生の大きな節目に悩みはつきものです。そのときに読むのが偉大な先人が残した言葉や人を励ます本です。果たしてそれらの有難いお言葉は本当に役に立つのでしょうか?

偉大な人物の言葉は役に立つのか

とても困っている時に誰かに温かい言葉を貰うと元気がでます。映画に感動すると困難と闘った主人公と同じ勇気を感じます。しかしそれは本当にあなたの人生の役に立つのでしょうか?確かに言葉ひとつで人生が好転する人もいるかもしれません。

例えば大切な人を亡くして落ち込んでいる時に一番お世話になるのが宗教の本です。仏陀の言葉やそこから学んだ人が人を慰めるために発した言葉です。あるいはキリスト教やイスラム教などの聖典のお世話になることもあるでしょう。

次に助けとなるのが偉人が残した言葉です。実際に歴史に名を残した人物の言葉には説得力があります。なぜなら実体験に基づいて得た教訓だからです。

現役の実業家や学者などの有名人の言葉も有難いものです。

信じれば効果がある

疑いなく彼らの言葉を信じられる人は幸せ者だと思います。いわゆる「信じれば救われる」という諺のことです。そのまま一生幸福な夢から覚めなければその人の人生は幸せなのでしょう。それならなぜ日本は幸福度ランキングが低いのでしょうか。

信心深くても貧しい現実

しかし現実は信仰心が厚い人ほどその生活は貧しいです。毎日神様や仏様にお祈りしている人で、どのくらいの割合の人が豊かな生活を送っているのでしょうか。貧しくても毎日朝夕と寝る前の祈りを欠かさなかった人は長生きできたのでしょうか?

私の周囲の人たちで熱心に祈っていた人たちはみんな貧しいです。毎週末に遊び歩いているような人のほうが裕福です。信仰熱心な人ほど低収入で節約に節約を重ねています。

ポジティブ信仰は役にたつのか

次に、今はやりのプラス思考について考えたいと思います。コップに水がある時にポジティブな人は「まだ半分ある」と考えることです。ネガティブな人は「半分しかない」と考えるのです。これは本当に前向きと後ろ向きの言葉なのでしょうか?

別の言葉で考えてみましょう。自動車のガソリンが「まだ半分ある」と考える人は本当にポジティブなのでしょうか?ガソリンが「半分しかない」と思う人は本当にネガティブ思考なのでしょうか?

この考え方の違いそのものは本当にポジティブとネガティブで区別できるものなのでしょうか?

私の答えはポジティブでもネガティブでもないと思います。しかも対立しているわけでも無いと思います。ある現象を単に二通りの言葉で表現しただけです。「しかない」という言葉を思いついたくらいで何も暗い気持ちになる必要すらありません。

信じれば効果がある

現象を別の言葉で表現しただけなのでポジもネガも無いと思います。要は言葉遣いの問題です。

これらのポジティブ思考も「信じれば救われる」と同類の価値観です。「幸せになれる」と信じているのです。偉人の言葉同様にポジティブ信仰を信じられる人は本当に幸せな人だと思います。

信心深くても貧しい現実

前向きな考えをいくら信じていても、現実は貧しい人がほとんどです。それでもなお信じたいというなら信じればよいと思います。愛情やお金や望みの子孫が手に入ると信じて、信じて、信じ続けた結果はどうなったでしょうか?お望み通りにならない人のほうがほとんどだと思います。それでも信じ続けられる人は幸せだと思います。

ぜんぶ捨てたら幸せになれるのか

昔は食い扶持を減らすために親が子をお寺に預けたり、労働力として手離すことが当たり前にありました。その子たちは自分の意思にかかわらずそうなる運命が決まっていました。幼少よりすべてを捨てて生きて行かねばならない人がほとんどでした。

彼らは少しでも自分たちの心を慰めるためにこう思います。「何も望まなければ幸せだ」「生きているだけで幸せだ」と。そう信じられる人は本当に幸せなんだと思います。でもそれは置かれた境遇に対して不満を消して生き延びるための言葉です。

こうした価値観が根強い地域は現代でも貧しいままです。例えばブータンやチベットのような国では子どもたちが出家することで見た目の平穏が成り立っています。僧侶にとって寄付で食べさせて貰えるだけで有難いのです。そこで修行して幸せになる考えを徹底して身に付けます。

確かに他者との共同生活で一生を終えることは幸せなのかもしれません。

しかしここは日本なので長生きできる環境が整っており寺などでの共同生活は楽ではないと思います。

ネガティブは悪か?

寂しい孤独虚しい。これらの感情を私はここで名付けて三大ネガティブ感情と言いましょう。人はこれらの感情を避けるためにさまざまな努力をします。他人にしがみつく行為が一番簡単です。でもそれでは嫌われてしまうので友達や恋人の振りをしてしがみ付きます。

しかし考えてみてください。この感情は人が生きるうえで欠かせない感情ではないでしょうか。寂しいから人は群れ、孤独だからこそ人は愛し、虚しいからこそ人は楽しみを作り出します。

私たちはこれらの感情が湧き出る状況をとても恐れています。日本人は学校でそういう風に刷り込まれたからでしょう。

つまり、友人が多いほど、家族が多いほど、物理的孤独な人よりも精神的に弱いことを意味しています。

楽しい感情は一時的

よく人は「楽しくなりたい」「気持ちよくなりたい」という欲求を抱きます。感情を得るためにディズニーランドに行ったりダンス飲み屋に行ったりします。ゲームに没頭する人もいます。パーティー三昧の人もいるでしょう。何かにハマるという行為もこの範疇に入ります。

これらは一時の娯楽なので時間が過ぎればもとの感情に戻ります。楽しい時が毎日続くと人は体を壊してしまいます。つまり、楽しいことは長時間続けると異常です。

ですが人はこの一時の感情のために働き続ける傾向があります。それで収入を得ることができればプロと褒めたたえられ、一円にもならなければ中毒と罵られます。

幸福感は一時的な感情

誰もが認める幸せという感覚は一瞬の感覚です。脳が快楽物質を解放しただけです。人はその感覚を求めて行動します。ここで言う幸せとは快楽です。古代の人であれば祭りや宴会、婚礼、見世物の鑑賞などがそれに当たります。君主から褒美や社会的身分を貰った時の「有難き幸せにございます」という気持ち。病がよくなった時の嬉しい気持ちなど。

不幸な気持ちは長く続く

幸せは一瞬なのに、不幸な感情はどうして長く続くのでしょうか。しかも嫌悪感といったら最悪な気持ちです。会いたくない人に会う事や、行きたくない場所に行くこと、望まないことが起きる事。そうした感情を少しでも忘れたいと思います。不幸は自分が引き起こすものもあれば他人がもたらすことも多いです。

偉人も成功者も孤独

そこそこ有名になって成功した人でも鏡に映った自分を見て孤独を感じます。どんなに偉い人でもそうした負の感情は避けられません。お酒や夜遊びで気を紛らわせても、肝臓が悪くなるだけです。

これらの気持ちが湧きあがった時に書物を開いて慰められたらどれほど有難いことでしょう。ですがその偉大な先人の書物を暗記する程覚えてしまえるほど人生は長いです。

家族がすべてか

現代フランスや北欧では人は何度か伴侶を替えます。子どもにとって親の存在は永遠ではないということです。別の人と子を作ったとしてその人と親子ごっこを楽しめるのは数年でしょう。自由で開かれた社会では親に甘える必要がないのです。

しかしなぜ日本人は親に何十年も甘え続けるのでしょうか?実家を出ない男性はずっと親に甘えていられます。

よくテレビで家族が第一と言ってる人がいます。鶴瓶の家族に乾杯というテレビ番組です。そこではそこそこ裕福な家庭の様子が映されています。

この甘えの価値観の裏側には甘えなければ不幸だという認識以外に理由があるでしょうか?

成功しない人にとって人生訓の価値とは

世の中のほとんどの人はテレビや新聞、メディアに名前が載ることもありません。ほんの少し載った程度で成功とは言えません。運良く晩年に成功なさる高齢者もおられます。でもそれはほんのごく一部の人たちです。ほとんどの人は世の中に知られることなく生涯を閉じます。

偉人の言葉を信じて成功すれば役に立ったことになるのでしょう。しかしビジネスで成功しなかったほとんどの人はこれらの啓発書を読んでも成功しなかったのです。

唯一不変の真実とは

この世には誰にでも当てはまる不変の法則があります。生者必滅です。昔の人はこのことに真剣に取り組んでいたと思います。この事実を最初に歴史に残した人はブッダです。裕福な王子に生まれたブッダですら虚しい、無常だと思って憂鬱になられたのです。修行をしてこの気持ちを消そうと努力したのです。この人間であることの苦しみはまさにここに端を発しているように思います。

さすがにこればかりは否定のしようがありませんので諦めて受け入れるしかないのです。

幸福と喪失は表裏一体

ですが、祭りの後の虚しさや何かを失った時の虚しさ、そういったものは幸福とセットで付いてきます。動物を飼えばいつかは亡くなります。感情を満たす対象は永遠ではないのです。結婚すれば伴侶を失う可能性があります。出産すれば子を失う可能性があります。人と出会えば別れる寂しさが必ず生じます。

人は何かを得ると、何かを失います。

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